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2008年4月 8日 (火)

葉隠

 おはよーでござんす。本日は、恒例のフットサルですよ。天気も晴れています。自由参加ですので、夜7時に芦屋浜のミズノへ大集合ざんす。

 昨日の夜8時頃、ある建売業者の社長さんより、「ご飯へいこう!」と誘われ、行って来ました。

 たくさんのお話の中で、ふと、『葉隠』の言葉を思い出し、改めて、頑張らねばと思った次第であります。

 武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにすることは、及ばざることなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。

若し図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。図に外れて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり

毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。

 江戸時代中期の鍋島藩の藩士、山本常朝の武士としての心得が、「葉隠」で、「武士道とは死ぬ事と見つけたり。」というフレーズはあまりにも有名です。ただし、ここでいう『死』とは、サムライ=腹切り=切腹みたいな外人からみた侍の『死』のことではなく、己を殺すという意味=『死』が武士道なのです。

 ただただ、己を捨てて、義をたて、御家を守護するために腹をすえて、覚悟するという意味なんですね。

 昔の日本には、このように、滅私奉公をするという武士道の尊い考えが美徳とされ、またその考えが、組織的な考えのなかで重宝され、長い歴史の中で日本人の人格形成を担ってきたんだと思われます。

 今の時代だからこそ、もう一度、この「葉隠」の精神を思い返し、生きる道を考えないと、ご先祖様に申し訳ないと思うのでした。

 今日は、おしまい。

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