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2012年5月21日 (月)

阪神間モダニズム

 こんにちわでござんす。満を持して中国市場にうってでた楽天さんが、人知れず撤退したみたいですね。日本では無敵を誇る楽天も中国では難しいんですね。アメリカでは、フェイスブックが上場して大賑わいになっているというのに、日本は、ミクシィもグリーもDENAもズドーンですからね。やっぱり、言葉の壁はでかいのと、郷に入れば郷に従えを忘れちゃったのかもですね。

 というわけで、のりぞーは、まず、我が街の歴史のお勉強からということで、買いました!!『阪神間モダニズム』

 企画・監修を兵庫県立近代美術館、西宮市大谷記念美術館、芦屋市立美術博物館、芦屋市谷崎潤一郎記念館がされた由緒正しい本でありまして、2500円もいたします。

 ほいでもってフムフム。やはりというべきか、大きな要因は産業革命。紡績業を中心とした各種産業が勃興していった結果、近世以来日本最大の商業都市であった大阪と、近代になって新しく開港した国際貿易都市神戸。この2つの大都市を明治7年に今のJRが、明治38年に阪神電気鉄道が、大正9年には阪急電鉄が結びます。

 また、それにともない、大都市圏に労働者という人口が集中し始めるわけですね。

 明治30年後半には、私鉄による住宅経営が始まります。私鉄の住宅経営は、関西が日本で初めてみたいで、なかでも阪急は積極的に沿線住宅地の開発を進めていったみたいですね。

 『郊外に居住し、日々市内に出で終日の勤務に脳漿を絞り、疲労したる身体を其家庭に慰安せんとせらるる諸君』というキャッチコピーは、今の、阪神間に居住するサラリーマンさん達と、なんら変わらないですね。(笑

 当然、交通が発達すれば、その沿線に不動産屋さんが跋扈するのも当たり前のことで、苦楽園は明治44年に中村伊三郎さんが開発し、その後西宮土地株式会社へと。また、甲陽園は、甲陽園土地株式会社という会社が開発し、『東洋一の大公園』と宣伝され、遊園地、キネマ撮影所、歌舞劇場、音楽堂、植物園、旅館と多角経営なされたみたいです。

 こうやって歴史を読んでいると、今も昔も変わらないことに驚きますね。阪神間、特に西宮市というのは、大阪、神戸に働きにいく人たちの心身を休める街である。また、山があり、緑があり、川が流れ、海に面する。文教施設も多く、そういった意味で、改めて、明治の頃からずっと変わらない、いわゆる憩いの住まいということなのでしょうね。

 あ~、西宮で不動産業やってて良かった!(笑

 んじゃ、仕事しまっす!

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